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災禍ドール

小さな針が 溝に落ちて
踊る為だけのシャンソンが流れるの
ねぇ 今夜もいつもと同じ様に
ねぇ 悪い言葉だけ呼び鈴鳴らすの?

赤い畑を走る ぴかぴかのバッチ
私に向けて夜鷹はカン高く鳴くの
ねぇ 踏み潰された苺が
ねぇ もう境界線は無いのね?

ああ 生きてもいないのに
 こんなにこんなに 煩わしいなんて
ああ 死ぬこともないのに
 こんなにこんなに かなしいなんて

ざわめきはささやきの一歩手前
乱数は禍々しさの半歩手前
人形は人間の 人間の?人間の?

キラキラの檻にいた頃は
誰もが私を指刺していた
痛かった 痛かった
でも私は だって私は

今は誰もが私を畏れて
恐がって 恐がって
だって私は でも私は

ああ こんなにも煩わしいのに
  生きない生きないないなんて
ああ こんなにもかなしいのに
  死なない死なないないなんて

ささやきはざわめきに戻らない
禍々しさは乱数に戻れない
人間は人形に 人形に?人形に?
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by HALinNT | 2011-04-14 22:44 |

あれからと、これから

この度の震災で亡くなられた方々に心からお悔やみと、被災地域の方々には心よりお見舞い申し上げます。

私はこんな殆ど誰も見ていない様な場所で細々と囁いている、ネット詩人の中でも末端も末端、木っ端をさらに砕いた程度の者です。
それでもこの未曾有の大震災を前に詩人は/詩は/虚構は、一体何が出来るのだろうか? 一体どんな意味があるのだろうか? と考え込んでしまいます。

ごく正直な所を言えば、私の詩は日常のほんの5分/あるいは3秒/あるいは指先の感触が電気信号になって脳に辿り着くまでのちょっとした時間を引き伸ばして引き伸ばして、ゴテゴテに飾り付けているものです。
だから世にある幾つもの素晴らしい詩の様に、命の喜びも、失われたものの悲しみも、過去への憧憬も、未来への希望も、それらを詠うことは、私には出来ないのです。

更に言えば、私が現在暮らしている場所は地震の影響から遠く離れた場所であり、その被害に心を痛めるばかりで実際にはほぼ変わらぬ毎日を送ってしまっているのです。

もっと酷い事を言いましょう。変わらぬ毎日どころか地震に託けて自分が抱える小さな幾つかの問題を先延ばしにし、偽善的な言動を繰り返し、偉そうに講釈を垂れ、自分の知っている事をたまたま知らない人を見つけては優越感に浸っているのです。

クズです。

それでも、例え私が今それを恥じて首を吊ったとしても何の意味もありません。それどころか普段からただ死にたいだけなのに、それを他のもののせいにするより一層のクズになるだけです。

結局私に出来ることは、ただオロオロしては自分の糞さに絶望するだけなのです。

でも、そんな事で本当にいいのでしょうか。
私は、私という詩人は、私の書く詩は、私の中にある虚構は、無力で無意味で糞である事は別に今に始まったことではありません。

それならば私は、今この目の前の瞬間を再び引き伸ばしては詩にするべきではないでしょうか。
無意味ならどこまでも無意味なまま立ち尽くすのです。あの日から前と何も変わらない姿のままで。

もっともこんな文章を書いている時点で、その影響を受けていないハズがありません。
それでも、どれだけ長い時間をかけても、世界は(あるいは世界を作る精神は)元の姿にいつか戻るでしょう。それならどこかで「元の姿」を失わない為に。
あるいは、この大理不尽に対して忍耐するのではなく勝利する為に。

『お前なんかで影響は無いぞ』『お前なんかで何も変わらないぞ』『お前なんかで何も終わらないぞ』と、そんなワケは無い事を知りながらも宣戦布告するのです。

あらゆる不義理と自己欺瞞と決心を飲み込んで言います。

私の詩は「私が影響を受けたいと思った事」以外では一切変わらない。いくら不回避の不幸が襲ってこようとも、そんなものは「私の詩には何の意味も価値も無い」。

そしていつか世の中の全部が「あんなものはもう関係ない」と、強がりでも思える日が来る事を祈って。
明日からもまた、末端も末端、木っ端をさらに砕いた詩人になります。
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by HALinNT | 2011-04-06 02:21 | 詩じゃない